抄録:
日本の大学におけるフランス語教育において、「読む」ことはどのように位置
づけられ、どのように評価されてきたのか。そして、それを受け止めた上で、
今日、「話す」、「聞く」、「書く」とともに「4技能」のひとつを養成するものと
して、「読む」ことを志向する授業は、教育目標と方法をどのように再設定した
らよいのか。本稿はこれらの問題について、文学研究者としての筆者の立場か
ら個人的な考察をまとめたものである。まず、日本におけるフランス語教育の
歴史を訳読からの脱皮として位置づけ、文学書の訳読による外国語教育の非実
用性について考察する。つぎに、言語体験のはじまりに認められる、実用と非
実用との未分化、あるいは情念(エモーション)や比喩的意味の、必要や本来
の意味に対する先行性に注目する。最後に、「読む」ことを志向するリーディン
グスキル系の授業の方向性として、母国習得のエモーション体験と、翻訳とい
う文化受容体験という両極の追求、そしてエモーションを介在させて両者を接
続させる可能性を提言したい。