dc.contributor.author |
和田, 光昌 |
ja |
dc.date.accessioned |
2019-07-12T03:03:15Z |
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dc.date.available |
2019-07-12T03:03:15Z |
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dc.date.issued |
2019-02 |
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dc.identifier.issn |
0286-2409 |
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dc.identifier.uri |
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1710 |
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dc.description.abstract |
日本の大学におけるフランス語教育において、「読む」ことはどのように位置
づけられ、どのように評価されてきたのか。そして、それを受け止めた上で、
今日、「話す」、「聞く」、「書く」とともに「4技能」のひとつを養成するものと
して、「読む」ことを志向する授業は、教育目標と方法をどのように再設定した
らよいのか。本稿はこれらの問題について、文学研究者としての筆者の立場か
ら個人的な考察をまとめたものである。まず、日本におけるフランス語教育の
歴史を訳読からの脱皮として位置づけ、文学書の訳読による外国語教育の非実
用性について考察する。つぎに、言語体験のはじまりに認められる、実用と非
実用との未分化、あるいは情念(エモーション)や比喩的意味の、必要や本来
の意味に対する先行性に注目する。最後に、「読む」ことを志向するリーディン
グスキル系の授業の方向性として、母国習得のエモーション体験と、翻訳とい
う文化受容体験という両極の追求、そしてエモーションを介在させて両者を接
続させる可能性を提言したい。 |
ja |
dc.language.iso |
jpn |
ja |
dc.publisher |
西南学院大学学術研究所 |
ja |
dc.title |
読むことのはじまりへ向かって―フランス語の訳読とリーディングスキル |
ja |
dc.contributor.transcription |
ワダ, ミツマサ |
ja-Kana |
dc.contributor.alternative |
Wada, Mitsumasa |
en |
dc.publisher.alternative |
Seinan Gakuin University Academic Research Institute |
ja |
dc.type.niitype |
Departmental Bulletin Paper |
ja |
dc.identifier.jtitle |
西南学院大学フランス語フランス文学論集 |
ja |
dc.identifier.volume |
62 |
ja |
dc.identifier.spage |
93 |
ja |
dc.identifier.epage |
108 |
ja |
dc.textversion |
publisher |
ja |
jpcoar.creator.nameIdentifierNRID |
1000030299523 |
|
jpcoar.creatorAffiliation.nameIdentifierKakenhi |
37105 |
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dc.teacher.researchmap-id |
1000229876 |
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dc.teacher.researchmap-url |
read0053010 |
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