抄録:
古典暗誦の教育的効用はつとに説かれたところであり、幼児や児童に供するための“素材集”の類もまた様々に提案され公刊されている。それらを用いて「しのたまわく、まなんでときに」、「ぎおんしょうじゃのかねのこえ」、「てんはひとのうえにひとをつくらず」などと元気いっぱい朗誦している子供たちの姿も、昨今また容易に思い浮かべることができる。もちろん一方に「ただやみくもに暗誦しても……」との指摘もあり、それはそれでもっともながら、大勢の声が響きあうなかで古い日本語表現の口調、音や響きをじかに体感する経験は、子供に限らずまた誰にとっても大切な学びの一コマだとは言えるのだろう。もっとも論者もまたやみくもな暗誦に躊躇する一人ではあって、なるべくなら内容理解(その“大体”であっても)を伴う暗誦を行いたい、そのためにも子供の生活に即した暗誦・音読用のテクストを用意したいとの願いを持っている ― そのような者には、たとえばキリスト教主義の教育を旨とする学校園においては『文語訳聖書』(日本聖書教会刊『舊新約聖書』)が恰好の素材となるように思われる。(ただし、子供たちが臨む日々の礼拝や「宗教」の学習においては『新共同訳聖書』が用いられているから、彼等が『文語訳聖書』に接する日常的な機会は意識的に設けようとしない限り、まずない。)