抄録:
文化と人々の行動様式との相互影響についての研究は,普遍的な行動・発達に対して文化が影響を及ぼし,その結果,異なった行動様式が生じているという比較文化心理学の立場と,文化はもっと本質的に人間の行動を形成するものであり,行動と切り離して考えることができないものであるという文化心理学の立場がある。さらに,コミュニケーション,特に異文化コミュニケーションの領域では文化とコミュニケーションとが相互に影響を与えながら,日々の対人関係様式に文化が影響を及ぼし,同時に人間関係が文化を構築,維持,発展させていると考えられている。しかし,これらの立場をとらえながら,特定の場面で喚起される情動と表現の関係についての研究は少ない。これらの研究の中で,情動を引き出すような言葉からの連想語についていくつか研究がなされている。たとえば,Ryan(2006)は,「葬儀」という言葉に対する連想語を尋ねた。その結果,その中に現れた感情語は日本人は悲しみ,寂しさであったが,アメリカ人の場合には,悲しみとなっていた。このことは,同じ状況であってもそのときに生じる感情に違いがあることを示してしている。また,例えば,初めてであった人に対して,日本人の多くの人は「よろしくお願いします。」と挨拶をする。しかし,英語では,そのような表現はなく,”Nice to meet you.”などの会えてうれしい気持ちを表現する。このことは,言語相対性理論を汎用するなら英語には「よろしくお願いします。」という言葉がないので,「よろしく」という,今後様々な迷惑をかけるかもしれないが,そのときには手助けが欲しいというような意味合いがない,と考えられる。しかし,既に言語相対性理論に対しての反論が多くあるように,言語が無いからといってその概念や思考の習性がないのかは確かではない。すなわち言葉として「よろしくお願いします。」に相当する言葉が無いとしてもそのような感情があるかもしれない。一方で,文化心理学の考えの立場では,一つの文化の中で育つと,その文化が持つ自己観と個人の思考様式は相互に影響を与えながら形成されていると考えているので,「よろしく」という言葉を持たない英語文化は,個人主義や相互独立的自己観のもとに言語が発達し,「よろしく」という情動は不要なものであるということになる。特定の場面とその場面で生じる情動が,言語相対性理論の反論の対象となっている知覚現象と同じレベルで考えることに飛躍があるかもしれないが,同じと仮定するなら,特定の場面での情動も言語に関わらず同じように生じることになる。そこで本研究目的は,特定の場面における慣習としての挨拶語が異なるならば情動の喚起は,文化において違いがあるのかを明らかにすることである。