抄録:
本論は,ドキュメンタリー映画における「現実性」と「創造性」の振幅に,「編集」がどのように関わっているかを考察しようとするものである。考察上の具体例として,3つのバレエ・ドキュメンタリーを並列的に観察する。バレエ・ドキュメンタリーは,素材自体に,動きと音が豊富に含まれて
いる上,撮影され記録される素材自体が大いに美的であるために,編集の位相が意識されにくく,ケーススタディが不足しているからである。エディソン傘下の発明家として知られるディクソン(William K.L. Dickson,1860‐1935)の『カルメンシータ』(Carmencita, 1894)以来,バレエという芸術領域を取材対象とするドキュメンタリーは少なくもない。数多のバレエ・ドキュメンタリーの中から,特定の踊り手や記念碑的公演に焦点をあてたものや,文化人類学的な視点にもとづくもの2)を除外して,編集上の恣意性── いわば作家性── が高いバレエ・ドキュメンタリーとしては,ドーンヘルム監督(Robert Dornhelm, 1947生)の『劇場通りの子供たち』(The Children of Theatre Street, 1977)やキェシロフスキ監督(Krzysztof Kies´lowski, 1941‐1996)の『種々
の年齢の七人の女』(Siedem kobiet w róznym wieku, 1978),ハート監督のテレビ映画『キーロフの舞台裏』(Backstage at the Kirov, 1983)などが思い浮かぶ。筆者は将来的に,これらを観察対象に含めた総合的な考察も展望しているが,本論では,ワイズマン監督(Frederick Wiseman, 1930生)の『アメリカン・バレエ・シアターの世界』(Ballet, 1995,以下『バレエ』と記載)ならびに『パリ・オペラ座のすべて』(La Danse : about the Ballet de l’Opéra National de
Paris, 2008,以下『ダンス』と記載)と,タヴェルニエ監督(Nils Tavernier, 1965生)の『エトワール』(Tout près des étoiles, 2001)を扱う。