抄録:
本稿は、2004年3月23日に西南学院大学において開催された「卒業生のための神学部シンポジウム」における私の発題を拡大したものである。このシンポジウムは、教授会における片山寛教授の提案を受けるかたちで、神学部主催で開催された。片山氏は、氏が西南学院大学神学部の学生だったころに、とくに寺園喜基氏と私青野との間でなされた「論争」によって大いに刺激を受けたとのことであるが、そのような「論争」は神学の学びにとって基本的・本質的なものなので、ぜひ今の学生にも、とくに卒業を目前にしている学生たちにも聞かせたい、と提案された。私自身は、もはや寺園氏や私などが出る時代ではなく、他ならぬ片山氏たちの世代の人たちこそが「論争」を展開したらよいではないか、と辞退したのだが、どうしても、ということで、発題を引き受けざるをえなかった。シンポジウムのテーマとしては、寺園氏が「障害者イエス」という論文を『ひびきあういのち』に発表しておられたので、それを取上げて議論しよう、ということと、神学部を卒業していく神学生の一人、水野英尚氏が、氏の長女で重度の障害を与えられているひかりさんのバプテスマの問題との関連で貴重な提案をしており、かつその問題を彼の卒論においても展開したということがあったので、彼をもパネリストに加えて、重症心身障害者にとってのバプテスマの問題を視野に入れながら、「障害」の問題について話し合おう、ということが決められた。そして寺園氏には、上述の「障害者イエス」における内容をさらに展開する形で話していただく、ということになった。私にはもう寺園氏と「論争」することへの意欲はあまりなく、これまでの「論争」を振り返ってみても、自らの若気の至りと思われる部分が多くあるので、その誤りは再び犯すまいと思ってはいたのだが、結局以下の文章が示しているように、やはりかなり激しい内容になってしまった。とくに教義学的思考に安らぎを覚えておられる向きには、不快に思われるところが多いだろうとは思うが、どうもこのスタイルから私は抜け出すことができないようである。しかし、上述したように、まさにそのスタイルを貫くようにとの要請を片山氏などから受けたという事情もあったので、読者のご寛恕を乞う次第である。以下に記す寺園氏の論文の頁の指示は、他の指示がない限り、すべて上掲の「障害者イエス」のそれを指している。