抄録:
日本におけるテスト政策もアメリカ同様に学校現場の教員に影響を持ち始めている。2018 年8 月2 日付けの日本経済新聞には次のような記事が掲載された。大阪市の吉村洋文市長は、2019 年度から学力テストの結果しだいで、校長や教員のボーナスに当たる「勤勉手当」を増減させたり、校長の裁量で使える予算を変動させたりなど、教員評価として活用すること検討すると明言したというのである。テストの結果を、教員評価や学校予算の裁定に利用することによって、米国の公立学校は民営化に追い込まれていることを考えると、今後日本の教育が向かう先が米国のようになるのではないかと危惧されるところである。学力テストは、「学力・学習状況調査」であったはずだが、テスト結果が公表されると現場はただの調査では済まされなくなっている。日本の教育におけるテスト重視の傾向は「脱ゆとり」から急速に高まり、学校教育では学習内容、授業時間数や日数も急激に増加の一途をたどっている。しかも、そうした傾向は日本が「脱ゆとり」路線を歩むようになった2003年のOECD のPISA(生徒の学習到達度調査)において、一位をとったフィンランドとは真逆の方向に向かっている。西南学院大学に客員教授として来日されたノルウェーのオークレー教授(Bjorn Magne Aakre)によると、北欧のフィンランドとも同様の歩調をとっているノルウェーでは、1997 年に徹底した学校
改革が行われ、教育はテスト重視から学び重視の姿勢へと転換したという。伝統的な一斉授業のスタイルを取る教師も少なからずおり、そうした人々からの批判も寄せられたが、法律によって問題解決学習といったプロジェクト型の授業スタイルを取ることが義務とされ、徐々に浸透していったという。1990 年代末といえば、奇しくも日本でも総合的な学習の時間などが導入される時期でもあった。それから、数十年が経つが、フィンランドを初め北欧からベネルクス三国にいたる国々において、一斉授業のスタイルはほとんど取られていない。しかし、それとは反対にこの数十年で、日本において経験主義的な学び、問題解決学習などは学習内容の増加とともに鳴りを潜め、さらに追い討ちをかけるように、先の学力テスト実施によって小学校でもテスト対策の授業が行われるなど一斉授業のスタイルが低年齢化し、またその時間数も増加しつつある。次々と改訂が進む新しい学習指導要領では、学習内容が増加の一方で思考力の育成などの一見テスト政策とは反対のような指針が示され、新しい大学入学のための共通テストでは、それをテストで測ろうとしている。このような日本の教育の向かう先はどんな未来が待っているのだろうか。ここでは、暗澹たる惨状を晒しているアメリカの教育事情について、そのテスト政策と学校の民営化を浮き彫りにすることによって、日本の教育への警鐘としたい。