抄録:
本研究は、授業研究、特に質的な授業分析がカリキュラム評価にどのように貢献できるのか、その可能性の一端を探るものである。安彦忠彦は、日本の授業研究がカリキュラムを改善した例は少ない、それは授業研究が「指導過程・指導方法」中心であり、主に1回の授業を対象としていることによる、今後は単元レベルにおいて少なくとも複数回の授業を取り上げて検討すること、そし
てカリキュラム評価の観点から授業研究を位置づけ、そのような「評価」的関心をもった性格の研究を増やしていくことが必要である、と指摘している。確かに授業研究は一回の授業を対象にすることが多かった。筆者が行ってきた質的な授業分析も同様である。その理由として、授業分析は例え一単位時間であっても相当のエネルギー、時間を要すること、また「指導過程・指導方法」
中心でも、その追究自体に価値があること等があげられる。さらに、連続して授業記録を複数回、分析すると、解釈が非常に複雑になり、実践の全体構造や授業間の具体的な関係が不明瞭になって、重要な知見を示すことが困難になるのである。筆者は、授業研究はカリキュラム研究と相対的に独立した固有の意義があると考えているが、上述のようなカリキュラム研究の課題への対応として、過去に、授業の様相―解釈的アプローチを試みたことがある。具体的には、生活科
において「発言表」を用いて同一単元の複数回の授業の分析を行い、カリキュラムの展開過程を追究した。今回は、授業展開がより複雑である小学校高学年の実践を対象として、またカリキュラム評価という観点を意識して、研究を進めたいと考えた。無論、十全なカリキュラム評価とは、教科、教科外の全ての教育活動について組織的に、授業・単元・教育課程の各層で質的・量的に行うべきものであるが、ここでは主要な授業を含んだ(特定の教科での)単元の評価を中心に行う。田中統治は、学力保障はカリキュラム評価を中心にして成し遂げられると述べ、授業評価はこのカリキュラム評価を進める起点であるという。さらに、授業評価とカリキュラム評価には隙間がある、授業評価が授業技術を含む授業の改善を目指すので、教育内容に関するカリキュラム評価まで届かない、その隙間を埋めるのが「単元評価」だと述べている。なお、現在、授業評価・単元評価は実践者、児童生徒、同僚教師、保護者からのアンケートによる評価の統計処理など、量的な方法はかなり開発されているが、本研究では質的な方法を試み、その可能性を追究することを目指している。