抄録:
日本経済の長期停滞への対応策として金融緩和によるインフレ・ターゲットを目指すいわゆるリフレーション政策がとられて2年以上になる.その成否の判断は現時点では難しいが,最近になって長期停滞の要因の1つに経済格差を指摘する議論が登場してきている.なかでも,Piketty(2013)による資本主義経済では格差が必然であるという指摘は,世界的に議論の対象になっている.日本においても,須藤・野村(2014)が出版され,資本の生産性の低下と格差
拡大による消費の抑制が長期停滞の要因であると指摘している.このような主張は,佐藤(2000)が議論の嚆矢となった格差社会に関する議論においては格差拡大についての認識に関する側面が大きかったのに比較すると,より経済理論的な面に焦点があてられたものといえる.経済格差を長期停滞の要因に挙げる議論では,対策として所得再分配効果をともなる累進所得税を財源とする社会保障の充実を主張している.このような議論は,経済問題のなかでも極めて重要なものであるというだけでなく,経済理論の面からも注目すべきものである.リフレーション政策にしても格差解消を主張する政策にしても,それがどのような理論モデルに立脚しているかが明確でないからである.そこで,この論文では,須藤・野村(2014)の列挙する経済構造の特性と整合的な理論モデルのアウトラインを明らかにする.ここでモデルのアウトラインというのは,企業の経営者や消費者の意思決定に関して細部までの定式化されずに動学的構造が示されるからである.意思決定について細部まで定式化されていない理由は,市場の不完全性がすべての議論の鍵になっているからである.特に,労働市場と資本市場が完全であれば,経済格差と長期停滞をともなう複数均衡経済にならない可能性が高い.しかし,市場の不完全性の態様には多くのバリエーションがあり,それぞれの状況に応じて意思決定問題の定式化が異なってくる.市場の不完全性についての細部を議論しなくても,格差と長期停滞の生じる動学構造を示すことはできるので,ここではそれを優先するということである.以下では,まず須藤・野村(2014)の議論に基づいて,格差と長期停滞の生じる経済構造の特性が整理される.続いて,それらの特性を持つ動学的モデルのアウトラインが示される.その後,長期停滞への対応策として社会保障の充実と所得再分配のみが有効なのかどうかが議論される.