抄録:
西南学院中学校・高等学校の「2013年度夏期教員研修会」講師の依頼を受けた時,躊躇した。中学校・高等学校と大学では教育現場が違うからである。それでも,講師を引き受けた理由は2つある。1つは現職の高等学校教員である堤ともみ氏の論文指導をするなかで,彼女の問題意識と真向かいになっていたことである。もう1つは2013年5月に出版した『キリスト教教育と私前篇』で,自身の中高生時代についてまとめていたからである。堤氏は2008年当時,八女市にある県立福島高校でベテランの英語教員であった。すでに修士課程を終えておられたので,3年間の研
究休暇をとって博士論文執筆に挑戦された。並々ならぬ決意の根底にあったのは高等学校の教育現場から生じていた問いである。彼女は「生徒をしつけ,教えている」。しかし,現場の課題に追われる日々に「本来の教育,教育の原点を見失ってはいないか」と考えられた。そのような問題意識から生じた問いは極めて実存的な性格を持ち,教師と生徒の生き方にまで関わってくる。ここに彼女の研究に取り組む動機があった。堤氏は動機だけを持って大学院に来られた。だから,末尾の「資料1」にある目次の内容に関してはあの時点で何も持ち合わせていなかった。けれども,
自らの課題に踏みとどまり,そこを掘り下げながら教育について考察し続けることにより,博士論文という学問的成果に到達されたのである。