Abstract:
「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟に対する熊本地裁判決(二〇〇一年五月一一日)は国のハンセン病政策の過ちを認め、その後の国の控訴断念によってこの判決は確定した。こうして、なぜ九〇年にわたって誤った隔離政策を続けてきたのか、このような誤りを再び繰り返さないためにはどうしたらいいのか、という真相究明あるいは再発防止等の課題を引き継ぐため、「ハンセン病問題に関する検証会議」(二〇〇二年一〇月〜二〇〇五年三月)が、このようなハンセン病政策の歴史と実態について、多方面からの検証を行い、再発防止のための提言を行うための第三者機関として設置された。ハンセン病患者が被告人とされた「藤本事件」も検証課題の一つとして掲げられ、最終報告書ではこの事件の捜査・裁判過程が「憲法の要求を満たし」ていなかったことが指摘されている。ハンセン病であるがゆえの差別・偏見が、裁判所を含めた司法プロセスにいかに深く影響を及ぼしていたか、という問題を解明する上で、藤本事件の真相究明は避けて通れない。そこで、「検証会議」の成果を引き継ぎ、ハンセン病問題解決のための努力を継続する一つのきっかけとして、今回のシンポジウム「司法における差別―ハンセン病問題と藤本事件―」を企画した。基調講演は、一九五四年の上告審以降、弁護人を務められた関原勇弁護士にお願いした。関原氏は、一九二四年生まれ。一九五一年に弁護士登録され、東京合同法律事務所に所属し、、その後一九五六年に第一法律事務所を立ち上げた。八海事件をはじめとして、菅生事件、白鳥事件など、多くの著名な刑事事件に関わる。パネルディスカッションには、上記ハンセン病問題に深く関わるお二人に加わっていただいた。徳田靖之氏(弁護士)は、ハンセン病違憲国賠訴訟西日本弁護団代表で、原告勝訴へと中心的な役割を果たしてこられた。内田博文氏(九州大学教授)は、「検証会議」の副座長として、また最終報告書の起草委員長として、再発防止策の提言をまとめられた。藤本事件について簡単に紹介しておきたい。藤本事件とは、一九五一〜一九五二年に熊本県菊池市で起きた二つの事件をいう。この事件の背景には、戦後の「無らい県運動」と菊池恵楓園の増床計画、ハンセン病患者専用となる菊池医療刑務所設立に伴う強制隔離政策があると考えられる。本件被告人である藤本松夫氏は、未収容患者に対する「全患者」収容方針のもとで、入所勧告を受けた一人であった。そして、一九五一年八月、藤本氏に対する入所勧告に関わった村職員方にダイナマイトが投げ込まれる事件が発生すると、「逆恨み」の末の犯行だとして逮捕されたのである(殺人未遂事件)。藤本氏は、ハンセン病療養所である菊池恵楓園内の菊池拘置所に収容され、懲役一〇年の判決を受ける。被告人は、無実を主張し、福岡高裁に控訴したが、その控訴審中一九五二年六月一六日、拘置所を脱走した。この脱走中に発生したのが同一被害者にかかる殺人事件である。「逆恨み」という文脈のもとで、当然のように藤本氏の犯行だととらえられ、五回の公判ののち、一九五三年八月二九日、熊本地裁は死刑判決を言い渡した。この事件の特異性は、療養所内に設置された特別法廷で出張裁判が行われ、被告人は裁判所構内の通常の法廷に一度も立つことなく、死刑判決が言い渡され、そして死刑が執行されたということにある。シンポジウムは、二〇〇五年三月一九日、西南学院大学において開催され、約一五〇名の参加を得た。以下は、当日の基調講演と、それに続くパネルディスカッションの模様を書き起こしたものである。括弧内は筆者が補足した。なお、文責は筆者にあることをお断りしておきたい。