Abstract:
19世紀アメリカンボード宣教思想研究は第2期(1851‐1880)に入る。この時期は,その間に南北戦争(The Civil War 1861‐1865)を挟んでいる。南北戦争は,しかし,第2期に起こった1つの出来事とみなすことはできない。むしろこの戦争は,第2期を通じてキリスト教諸団体の立場を,その根本から規定することとなった。すなわち,戦前においては奴隷制をめぐる対応によって規定し,戦争中は政治的分裂と戦争をめぐる対応によって規定し,戦後もキリスト教団体の分裂をめぐる対応によって,キリスト教会を規定した。リチャードニーバー(H. Richard Niebuhr 1894‐1962)は『教派主義の社会的源泉』において,キリスト教諸教派の南北戦争への対応をめぐって古典的分類を行っている)。ニーバーによると,セクト的性格を持つ教派は奴隷制という道徳的問題をめぐって早い時点で分裂し,この問題が解決した後も合同を回復できなかった。メソジストとバプテストがその典型である。それに対して,教会的性格を持つ教派は南北の政治的分裂によって分裂したが,政治的統一が回復すると一致を回復した。長老派,ルター派,聖公会がこのタイプに属する。それでは,アメリカンボードは南北戦争に対してどのように対応したのか。また,南北戦争がアメリカンボードをどのように規定したのか。そこで,南北戦争とアメリカンボードに関する検討から第2期の研究を始めたい。ところで,この問題に対する本格的な研究は先行研究において見られない。それは従来の研究者にとって,とりわけ,ボードが存続していた時期の研究者にとって,第2期におけるボードの南北戦争への対応は適切だと認められていたので,この問題を研究対象とする意識が生じなかったためだと考えられる。