Abstract:
今堀義は、1997年10月に西南学院大学文学部外国語学科英語専攻に教授として加わった。彼が大学院の学生時代から、多くの論文や学会発表などの研究活動を通じて一貫して探求してきたのは、彼自身の「自己」である。同時に今堀は、シンボルという、人間のみ与えられた道具、能力を使って他者との関係の中で築く、そして気づく「自己」の存在論的、認識論的特質を追い求めてきた。本論では、今堀が自らの異文化体験から周囲の人間との「自己の交渉」(identity management)を通して得たこと、さらに現代のコミュニケーション研究において最も重要、かつ基本的とされる「自己」の概念を哲学的、科学的にとらえようとした研究者としての足跡を振り返ってみたい。「コミュニケーション」は現在でも、「ふれ合い」、「自分の気持ちを相手に伝えるための道具、技術」、あるいは「人間関係を築くための能力」といった、比較的表面的な捉えられ方が巷ではもちろん、社会科学、人文科学を含む他の学問領域でさえ一般的である。確かに道具、技術、スキルといった目に見える側面も含まれるし、いくら知識や態度といった、行動の基盤を磨いても、それが実践できなければ「コミュニケーションが上手」という結果は導けない。しかし、今堀も私もこのような表面的なコミュニケーションの捉え方に対して強い反発心を抱いてきた。そしてその反発心こそが、「コミュニケーションは自分、自分を形成するプロセス、つまり生き方、哲学である」という考え方を共有させたのだと信じている。小論では、今堀自身が米国での体験を通じてどのようにしてコミュニケーション学の真髄である「自己」の問題に到達し、その追求が彼の研究にどのような影響を与え、そして研究者としてのそれらの個人的、知的探求がコミュニケーション研究に遺してくれた大切なものに光を当てる。今堀義教授の知的貢献については、自身が会長を務めていた日本コミュニケーション学会編『ヒューマン・コミュニケーション研究』(印刷中)に本論の一部も含め、詳細が掲載されているので参考にされたい。