Abstract:
本論は「自然災害とキリスト教信仰」という今日的主題に関する、旧約学の立場からの一つの神学的黙想である。それは具体的には、従来十分に注意が払われて来たとは必ずしも言い難い創世記2章20節bにおける「人」の冠詞脱落から始まり、被造物を主役に創造物語を2章から1章へ逆に読んでいく方向を採る。この順で読む理由は、従来2章4節b以降の創造物語はヤハウェ資料(J)に属し、1章の祭司資料(P)より古いと考えられてきたからである。この神学的黙想は、2章と1章を間テクスト性(intertextuality)の観点において結びつけることを通して、(1)人間と被造物の関係、(2)神はどこにいるのか、(3)人間に求められていること、の3点について、現代においてはこのような見方もあるいは可能なのではないかといういくつかの可能性をヘブライ語聖書から抽出する試みである。