Abstract:
わたし自身,元来組織神学を専門分野として研究し,西南学院大学神学部では実践神学を教える者であり,歴史的研究は門外漢ではあるが,2010年度前期にプラハに在外研究を許された者として,プラハとチェコの歴史にとって避けることのできない重要な人物としてのヤン・フスから彼の神学思想を聞きたいと考えた。この論文では,1.フスの生涯を当時の社会的,哲学的,教会史文脈で考え,2.彼の主著といわれている『教会論』をまとめて提示し,3.彼の生涯と『教会論』を中心とした著作群から見えてくる神学思想の特徴を考察・整理しようと試みるものである。プロテスタント宗教改革は,マルティン・ルターが1517年10月31日,ヴィッテンベルクの教会の扉に「95箇条の提題」を貼り出した時から始まったとみなされがちである。むろん,バプテストの場合は,それ以前のバルタザール・フプマイヤーやアナバプテストの歴史などにも光を当ててきたのである。もっとも,「宗教改革」そのものを無視して,聖書時代に遡ってしまう極端な立場も存在してきた。そのような極端な歴史理解は別にして,ルターの宗教改革は「始まりというより,むしろ,その時点に先立つ二世紀続いた運動の結果」であったと考えるのが適切であると思える。ヤン・フスの教会改革運動も,彼自身,かなり意固地で個性的な性格であったように見受けられるが,ある才能ある個人の孤立した運動というより,この時期の教会改革運動の流れの一部分として理解されるべきであろう。ボヘミアの哲学者・神学者であり,「宗教改革以前の宗教改革者」と呼ばれるヤン・フス(Jan Hus 英John Huss,独Johannes Huss)は,今日でもその評価が分かれている。異端として断罪され,火刑に処せられたフスは,本当に異端思想の持ち主であったのだろうか,あるいは,今日,聖者として名誉回復がなされるべきなのであろうか。そして,いずれにもせよ,今日に生きるわれわれに,フスが死をかけてまで問い掛けようとしたメッセージは何であったのだろうか。われわれキリスト者は,歴史の中から「危険な記憶」としてのイエスの物語と共に,いかなる「記憶」を心に刻み,また,伝承すべきであろうか。これがこの論文の基本的テーマである。