抄録:
わが国では、7 世紀後半に古代寺院の数が爆発的に増加することが『扶桑略記』などの史料によって知られており、古代寺院の遺構は東北地方から九州地方にいたるまでに広く分布している。仏教寺院は、寺の本尊を祀る金堂、釈迦の骨である舎利を安置する塔、経を講じる堂である講堂を中心として、僧侶の居住する僧房、鐘を懸ける鐘楼、経典を収める経楼などの建物によって構成され、その配置を伽藍配置とよぶ。わが国における古代寺院
の伽藍配置は、飛鳥寺式伽藍配置、四天王寺式伽藍配置、薬師寺式伽藍配置、川原寺式伽藍配置、法隆寺式伽藍配置、法起寺式伽藍配置など、その形の代表的な寺院名前を標識名とする伽藍形態をとっている。いずれの配置も、南に門(中門)を配し、両妻からのびる回廊内に金堂、塔、講堂などの主要な建物をおき、それらの建物の並び方や数によって区別されている。7 世紀後半においては、一塔一金堂式の法起寺式、法隆寺式伽藍配置をとる寺院が全国的に広く分布し、法隆寺式に比べて法起寺式は地方に多く分布する傾向にある。法隆寺式が王権と結びついた伽藍配置であると解釈される一方、法起寺式については本尊が分かっている例も少なくその信仰性や性格を見出すことが難しいことが指摘されて
いる(菱田2005、石松2007、森2008など)。そこで本稿では全国の古代寺院のうち、おおむね天平13(741)年の詔にはじまる国分寺・国分尼寺建立による国家仏教政策がとられるにいたるまでの寺院を対象として、発掘調査報告書や関係文献などによって法起寺式伽藍配置をとるとされているものについて改めて集成を行い、一覧化することで、法
起寺式をとる寺院全体の様相をつかみたい。