Abstract:
フィンランド象徴主義を代表する画家の一人として知られているヒューゴ・シンベリ(Hugo Simberg,1873–1917)は、今日では《傷ついた天使》(Haavoittunut
Enkeli)の名と共に紹介されるのが常である。《傷ついた天使》は、シンベリの代表作として認識されているのみならず、フィンランド芸術を代表する近代絵画でもあり、2006年にヘルシンキのアテネウム美術館で行われた「フィンランドの国民的絵画」(National Painting)投票においては、他の名画を押しのけ、国民的絵画に選ばれている。また、現在では、アテネウム美術館の常設展示室入口正面に配置されており、この美術館を訪れた来館者が最初に目にするであろう絵画の一つとして扱われている。したがって、今日ヒューゴ・シンベリの名前を知る者は、大抵の場合、彼を「《傷ついた天使》の画家」として認識しているはずであり、いわばシンベリは「天使の画家」なのである。 現代におけるシンベリの認識が「天使の画家」であるのに対して、シンベリが《傷ついた天使》を発表する1903年以前、シンベリをそのように認識する者はおそらくほとんどいなかった。というのも、シンベリの作品主題に「天使」が登場することは滅多になかったからである。たとえば、シンベリ研究の基礎を築いたSakari Saarikiviの研究書HugoSimberg:Elämä ja Tuotantoの作品総目録に基づくと、タイトルに「天使」(enkeli)という語が記されている作品は、全1052点中わずか8点に過ぎない。そしてそのうち3点は《傷ついた天使》のヴァリエーションであり、少なくとも2点は《傷ついた天使》以後の作品である。シンベリが好んでいた主題は、天使ではなく、フィンランドの自然風景やそこに住む人々、精霊、死、そして悪魔であった。とりわけ「悪魔」は、画家人生の初期からシンベリが描き続けた主題の一つであり、作品題に「悪魔」(piru)と付けられた作品数は19点と、天使の数を大きく上回っている。加えて、作品題には記されていないが明らかに悪魔的存在を描いた作品も数多く存在する(その数は作品題に「悪
魔」と記されている作品数よりもずっと多い)。いわば、シンベリは「悪魔の画家」だったのである。そのことは、作品数のみならず、同時代の美術批評家たちのシンベリ評からしても明らかである。「悪魔の画家」から「天使の画家」への画家イメージの転身が起こったのは、どのような経緯によってか。また、そのイメージの転身は、シンベリ自身が企図したものであったのか。さらに、その転身は、シンベリという人物の芸術理念、ひいてはその芸術作品の本質をも変えてしまうような本質的転身であったのか。これらの問題について、シンベリの生涯に即した作品主題の変遷を見ていくことで、さらには当時のシンベリの書簡および美術批評家たちのシンベリ評を分析することで、明らかにしたい。