抄録:
論者の担当する[国語教育ゼミ]で群読の台本作りと実践を行うようになってそれなりの時間が経った。いつか学校園に勤めて乳幼児・児童の言葉を育む役割を担う(であろう)学生たちは,「読み分かち/読み担い」などといった群読づくりの基本を学ぶなかで素材・教材研究のための知見を培い,また声と身体を操る技能を体得している様子である。また年に一度の卒業公演とそれに至る日々の練習のなかで“言葉の芸術性”にも目覚めるところがあるらしい―「乳幼児・児童の言葉を育むための知見と技能について,それなりの修学が担保されている」と自評してもお許しいただけようか。
それにしても悩ましい課題がある―知見を深め技能を高め,それなりに多様で豊かで工夫を凝らした群読ができるようになるにつけても,学生たちの実践は“聞き手から遠く離れていく”ように見えるのだ。聞き手は彼等の公演をただ見守るばかりの“お客様”になっていく―まさしく「ご静聴いただきまして」との挨拶が似つかわしくて。
このようなところから学生たちの新たな願いが芽生えた―「聞き手のみなさんと,それが子供たちであればなおのこと,もっと一緒に“声と言葉の世界”を楽しみたい,群読によって紡ぎ出される物語世界を共有したい」といったように。むろんそれも必定―彼等は保育士や幼小教員の“卵”なのだから。
そのような願いを踏まえて,たとえば「ビジュアルシンキングを併用する群読の構想」を模索したこともある。それはそれで面白いアイディアだが,聞き手の子供たちともっとダイレクトに,互いの“声”を重ね合わせながら交流するすべはないものか―そう模索しつづけるうちに偶然,絵本『いぐいぐいぐいぐ』を群読の素材として取り上げる機会を得た。小稿に言う「子供参加型の群読」の思いつきはそういう経緯の末に具体化した。