Abstract:
この数年,論者の担当する国語教育ゼミでは「群読づくり」を実践している。週一回のゼミ開講日,当日担当のゼミ生が自身お気に入りのテクストを持ち寄って―それは多く物語や詩であり時に古文でもあるのだが─それを素材として取り上げては台本を試作し,実際にグループ音読の練習を積み重ね,話し合い聞き合いながら読み深めていく。通年30回開講の3年生対象科目だが,ゼミ生たちは4年生になっても出てくれるので,彼等は大学生活後半の2年間(開講60回)を通して40本ぐらいの群読づくりを体験していることになる。講義回数の割に作品数が少ないが,取り上げる素材によっては講義一回では間に合わないこともあるのだ。その中で,長谷川摂子(はせがわせつこ)さんの絵本作品『めっきらもっきらどおんどん』は毎年のように誰かが持ってくる人気の素材である。だからゼミ生たちは在学中に2回は「めっきらもっきらの呪文」を唱えることになるのだが,その折々に趣きの異なる群読が出来上がってくるので面白い。特に以前の実践を記録した映像と見比べながら検証してみると,読みの深まりや技法の違いが見えてきて,時にみなで感嘆し合うようなこともある。先々に保育士・幼小教諭(以下には「保育者等」と言う)として子供たちの前に立つことを志す学生たちにとって,この作品を素材とする群読学習は良質の学びの場を醸成するのである。小稿は,その『めっきらもっきらどおんどん』について作品論・作家論的な分析を記述しながら,それを用いて行う群読学習の様相を整理しようとするものである。