抄録:
最近、講演会や研修会で話をしていると、参加者からよく受ける質問のひとつに「愛着障碍と発達障碍の違いをどのように考えたらよいか、鑑別したらよいか」というものがあります。このような質問の背景には、従来の発達障碍にみられる病態と虐待やネグレクトを経験した子どもたちにみられる発達障碍類似の病態との違いをどのように見分けたらよいか、どのような視点から考えたらよいか、現場の人たちの大きな戸惑いと混乱があるように思います。昨年11月のある学会で講演した折に、虐待を受けた子どもの脳研究で有名な学者(友田、2015)の話を聞いて強く疑問に思いました。発達障碍と愛着障碍の区別はとても難しいと言いながら、その一方で両者の鑑別は大切であると強調していました。ではどのように明確に鑑別するのか、期待をしながら聞いていたのですが、肝心のその点は曖昧なままでした。どう考えても矛盾した話で納得がいきませんでした。
このような混乱を招いたひとつの要因に、子ども虐待を発達障碍としてとらえようとする主張があることは確かでしょう(杉山、2007;小林、2007)。これまで(勿論現在もなお)発達障碍は生得的な脳(機能)障碍によるものだと考えられていますし、子ども虐待は養育者によるもの、つまりは養育環境によるものだと当然のごとく理解されています。生得的な脳障碍という素質(nature)
に原因を求める器質因説と、養育環境(nurture)に原因を求める環境因説というまったく正反対の原因によるものだとの通説が流布していますから、子ども虐待も発達障碍だとみなすと、両者の関係はどうなるのか、誰でも混乱するのは当然でしょう。このように発達障碍に関する議論は、ややもすると「障碍か個性か?」「治るか治らないか?」「遺伝か環境か?」という二者択一的なものになりがちでしたが、そのようなこれまでの流れに対して、先天的要因(遺伝要因)か、それとも養育環境(環境要因)か、という従来のどちらか一方に決めつけようとする考え方から脱皮し、双方の要因のダイナミックな絡み合いの解明こそ、今求められている課題だとする考え方もやっと主張されるようになってきました(鷲見、2015;小林、2015)。しかし、この鷲見聡著『発達障害の謎を解く』(日本評論社、2015)で、著者は素質と環境とのダイナミックな絡み合いの解明こそ今後の課題だと主張しているにもかかわらず、なぜか乳幼児期早期における<子ども-養育者>関係の内実にはまったく触れていません。子どもの心の成長「発達」とその「障碍」がどのようにして生まれるのか、その成立過程こそ、素質と環境のダイナミックな絡み合いの所産です。そこに目を向けるべきであって、それなくして「発達」とその「障碍」の解明は不可能です。それまでの発達過程で何が起こったのか、そのことがこれまでブラックボックス化され、誰も積極的に見ようとしてこなかったことが最も大きな問題なのです。そこで乳幼児期早期、とりわけ0歳から2歳までの生後3年間の発達過程でどのようなことが親子のあいだで起こっているのか、そのことを取り上げて考えてみたいと思うのですが、その前に「愛着障碍」や「発達障碍」という診断名について考える必要があります。