Abstract:
エーリッヒ・フロムはその著書『自由であるということ』 の中で旧約聖書における神・人・歴史観を再解釈し、人間存在における自由という概念を提起している。フロムの代表作は1941年に刊行された『自由からの逃走』であり一貫して自由ということが主題となっている。第一次世界大戦後古い君主政治から新しいデモクラシーに代わって、人々は自由を手に入れたはずなのに、またしても新しい強力な権力〈ファシズム〉に服従し始めたのは何故かという問題意識がフロムの著作には一貫して流れている。フロムは他にも様々な著作を刊行しているが、それらは基本的に『自由からの逃走』で示された議論を展開したものとして理解できる。つまり、1966年に刊行された『自由であるということ』におけるフロムの議論は、『自由からの逃走』で示された議論を、旧約聖書というユダヤ教の書物から再解釈することによって発展または変容させたものであると考えられる。この意味において、『自由であるということ』を旧約の妥当な解釈を行った著作であるか否かを議論することは有意義ではない。しかし、フロムの議論は社会心理学的な面が注目されがちであるが、フロムは宗教と精神分析に独自の接近法で考察を行っているため、フロムの自由の議論においては宗教的側面に着目することが可能である。以上のことから、本稿ではフロムの社会学的及び精神分析学的側面を認めつつも、実存論的次元を明らかとするために、人間の精神の深部に迫る宗教的側面に特に注目する。