抄録:
フランスのミッテラン(Mitterrand)社会党政権は,その成立当初より,欧州建設をいかに推進するか,という課題を抱えていた。ここでフランスは,伝統的精神を成す国民主義的志向と,欧州統合を支える超国民主義的志向をどのようにバランスさせるかが問われた。そしてその第2次政権が開始されると,今度は,フランスが経済・通貨同盟の設立を主導し,そこにおける自身の役割をいかに高めるか,という点が大きな課題として浮上する。フランスはそこで,当同盟の基本原則である自由と競争を推進しながら,国家による市場のコントロールの維持を図ると同時に,これまで培われてきた社会保障も充実させねばならなかった。欧州建設のプロセスは,そもそも,様々なアンビヴァレンスを抱えていた。それらは,国民主義と連邦主義,自由主義と管理主義,並びに競争主義と平等主義,などに代表されるような二律背反的な姿となって現れた。これらのアンビヴァレンスが,欧州全体の経済・金融システムを規定したことは言うまでもない。欧州統合の旗頭の一翼を担ってきたフランスにとり,それらの相克をどう乗り越えるかが,まさしく重要な課題となったのである。そして,当時,この課題に真っ向から挑戦したフランスの政治家が,P.ベレゴヴォワ(Bérégovoy)に他ならなかった。ベレゴヴォワは,ミッテラン政権の発足当初から,政治的な要職を歴任した。とくに,第2次政権において,かれは首相までも経験した。そうした中で,J.ドロール(Delors)の提起した経済・通貨同盟の構想を忠実に支持する立場から,それを確立するためのフランス自身の体制づくりに専念する。一体,かれは,経済,金融,並びに社会に関していかなる政策を打ち出したのか。また,それらの政策によって,フランスの経済と社会は,いかなる影響を受けたのか。本稿の目的は,それらの問題を検討しながら,欧州建設における経済・通貨同盟の内包する諸問題,さらには欧州統合そのものに潜む諸問題,を考えることにある。その際に筆者は,ベレゴヴォワの議会やその他で述べた発言を詳細に辿ることにした。かれの本心とフランス政府の意向をそこから引き出したかったからである。幸なことに,ベレゴヴォワの発言を集めたドキュメントが出版されている。本稿で取り上げたかれの発言は,すべてこのドキュメントに基づく。ただし,それらの出所としては,実際に行われた講演やインタヴィウの場が記されている。