Abstract:
物権には排他性・絶対性が認められるので、その所在や内容について外から認識できるようにしておかないと、人々が不測の不利益を被るおそれがある。そこで、物権関係はできるだけ公示すべきだという法原則が求められることになる。これを、一般的に、公示の原則という。この原則は、
物権関係を、予め定めた一定の外形すなわち公示方法と結びつけ、物権変動の成否やその対外的な主張の可否をそのような外形の有無にかからしめる制度として、各国で採用され、具体化されている。たとえば日本民法典は、その177条と178条において、不動産については登記、動産については引渡しをしなければ、物権変動を第三者に対抗できないものと定めている。このように、公示の原則は、公示をしないことによる不利益負荷の形で制度化されているのであるが、その趣旨とするところは、人々が、公示に依拠して行動することができるという、法律生活の安全特に取引の安全を図る点にあることは、改めて指摘するまでもないであろう。公示という外観を手がかりに物権関係の内容を認識し、それを前提に法律生活を送ることができるという積極面にこそ、この原則の主要な趣旨・目的があるということである。その意味で、公示の原則は、第三者の立場から見れば、公示方法に対する信頼を保護すべきであるという、広い意味の公信の原則にほかならない。このような、公示の原則に含まれている信頼保護の要素については、従来からいろいろな形で指摘されてきた。しかし、それを177条の解釈論に反映させるべきかという点になると、従来の通説的立場は消極的であった。たとえば、物権法を離れるが、商業登記について、同じく登記をしなければ対抗できないと定めている商法9条1項前段について、それは消極的公示主義を定めたものとされてはいても、信頼保護を定めたものであるという位置づけはなされていないようである。これに対して、民法177条の「対抗」問題に関しては、信頼保護の要素を見直し、解釈論にそれを生かそうとする動きが近年強くなってきた。たとえば、取消しと登記など従来限定的に説かれてきた94条2項類推適用を、より広範囲に拡げ一般的なものにしようとする見解が有力に説かれている。また、信頼保護というよりも正当性の問題とする学説が多いが、悪意の第三者を排除すべきことが有力に説かれている。判例の中にも、単純悪意と信義則違反を結びつけて結果的に悪意者排除の取り扱いをするものが現れている。もっとも、民法177条の「対抗」と信頼保護とを結びつけることに対しては、批判的な見解も少なくない。むしろ、登記の有無による画一的な取り扱いと登記しないことによる不利益負荷が同規定の本質的な特徴であって、それは信頼保護制度とは異なるものであると解するのが、なお伝統的な通説であろう。しかし、公示の原則が広義の公信の原則であるという上に述べたような関係は、177条の解釈・運用にとって出発点ともいうべき基本的なものであることを振り返ると、対抗問題を信頼保護を結びつけて考えることは、そ
れほど見当はずれなものとは思えない。後にみるように、民法典の立法段階では、そのような発想がかなり顕著に示されていたのである。また、登記の有無による画一的な取り扱いは、今日では、衡平の観点から修正を被ることが多くなっているが、それに伴って、その方向性を明らかにするために、規定の趣旨・目的や実質的要素に立ち返る必要性が強くなっている。その際最も中心的な位置を占めるべきなのは、信頼保護の要素であろう。本稿は、そのような問題意識にもとづいて、177条の信頼保護的要素が、どのように取り扱われてきたのかについて、立法者意思、判例、学説を展望し、今後の解釈・運用にそれをどのように生かすべきかについて考察を試みたものである。