Abstract:
今から60年以上前の1950年、カナダのトロントで第13回世界キリスト教教育大会が開催された。戦後間もない時期、連合軍の支配下に置かれていた日本で、どのようなキリスト教教育が行われていたのか、大会のためにその報告書が作成された。実に全国1431校の教会学校を対象に1949年4~7月にかけて、大規模な調査が行われたのである。調査にあたった研究者は、総勢80名。その中には、北森嘉蔵、小林公一、松川成夫、高崎毅、田浦武雄、武田清子等の名前が見られる。その報告書によれば、「キリスト教教育」という日本語の概念自体がまだ充分熟しておらず、「日本のキリスト教教育は今日どんな原理に立脚しているか」を取扱うことが困難であると指摘されている。さらに、漠然と聖書を中心に教える以上のことは自覚されていないものが多いと思われる、とも捉えられていた。その報告書は6部から構成されており、その第4部のキリスト教教育の原理では、日本のキリスト教教育は、伝道的事業(Missionary Enterprise)として始められており、アメリカの宗教教育学の影響にあったと言われている。1930年代後半から、ドイツの弁証法神学の影響を受け、さらに、それが形式的に教会のキリスト教教育に適用されてしまったと指摘されている。その問題の解決もしないまま戦争に入り、再びアメリカの影響を受けて変化していると言う。つまり、戦後のキリスト教教育は、欧米の宗教教育の影響を強く受けつつ、日本独自のキリスト教教育の在り方を模索するところから出発したと言える。本稿では、日本のキリスト教教育を論じるための理論自体が十分に熟していない時期から、今日にいたるまで、キリスト教教育はどのような原理、理論に基づいてきたのか、その変遷を大まかに探ることを試みるものである。キリスト教教育の歴史的研究は、キリスト教学校教育同盟の百年史(2012年)を始め、NCC『教会教育の歩み』(2007年)、それに日本キリスト教教育学会『戦後50年のキリスト教教育』(2003年)など、数多くある。しかし、理論の変遷を概観するものは極めてまれである。そこで、2013年、拙書『現代日本のプロテスタント・キリスト教教育理論の変遷-キリスト教教育哲学の視座から-』が出版された。今回は、その前半の一部分を参考に、キリスト教教育理論の変遷について説明する。初めに形式的な議論が必要と思われる。キリスト教教育は、例えば、教会学
校やミッション・スクール、幼稚園・保育園での礼拝である場合、実践として具体的に展開しているものである。その方法や目的、内容などを整理し、共通項を見出し、個別のケースに応用可能にしていくための原理を仮に理論とするならば、キリスト教教育の理論は、複数の学問によって総合的に構造化されねばならない。キリスト教教育が、学問として成立するか否かをここで議論する余裕はない。しかし、戦後の理論の変遷を概観して、明らかになってきたことは、キリスト教教育が、神を中心とした学問(神学)と人間を扱う学問(教育学、諸科学)の狭間に合って、総合的なアプローチを必要としつつ、なおかつシンプルな結論を求めていることである。すでに奥田和弘の『キリスト教教育を考える』(1990)によって、「キリスト教教育理解の類型」5つ(教授中心、発達中心、解釈中心、活動中心、共同体中心のアプローチ)が紹介されているが、その基盤は、1987年に翻訳されたジャック・L.シーモア編集の『キリスト教教育の現代的展開』であると記されている。繰り返すが、ここで試みる理論の捉え方は、歴史的に日本の戦後のキリスト教教育の諸理論が、どのような特徴をもち、どのような流れを形作ってきたのかを明らかにすることを意図している。それらは、次の三つのグループに分けられる。第一グループは、教会における伝道を中心とした理論。これは、端的に言うならば、クリスチャンを育てるための理論である。第二グループは、キリスト教教育を学問論から考察するものである。神学を中心とするもの、また、さらに心理学や教育学、倫理学など多様な学問との関係の中からキリスト教教育の学としての性格づけをするものである。第三グループは、人間教育を中心としたものである。これは、教会やキリスト教学校での伝道と一線を画しているところが特徴である。以下、各グループの概要を説明する。