Abstract:
21世紀にはいって10数年あまりたち、国際社会のグローバル化はますます進んでいる。インターネットで、情報が瞬時に世界をかけめぐる一方、経済的・政治的違いによる様々な対立・紛争も生じている。異なる文化や宗教への理解と協調が求められる現代、日本では、再び脱宗教的な倫理観や哲学がブームになっている。その一つに武士道への興味の高まりがある。武士道は、古代からある日本における「戦闘者」(サムライ)の倫理観である。19世紀末、当時の日本の国際連盟事務次官であり、クリスチャンの新渡戸稲造が、英語で「Bushido」(1900年)を著し、世界中に広まった。米国大統領ルーズヴェルトが熱心な愛読者であったと言われている。本稿では、主に2つのことを課題とする。第一に、武士道が現代のグローバル社会に与える意義は何か、特に、武士道には洋の東西を問わない価値の普遍性があるのかを解明する。そのためには、外国人が武士道の普遍性をどのように理解し、評価しているのか説明する。第二に、日本におけるキリスト教の土着化の一形態である「接木」の意味を明らかにする。特に、新渡戸稲造と並んで、近代日本の代表的なキリスト者である内村鑑三のキリスト教と武士道の関係を分析する。内村は、「武士道に接木されたキリスト教」という表現で、日本におけるキリスト教の土着を形容した。「接木」という異文化間の土着化の形態とはどのようなものか、先行研究などによって説明し、さらに間文化的哲学(Interkulturelle Philosophie)の分類と対比させることを試みる。本稿は、決して日本人のユニークさを紹介する一つの日本人論を提示することを目的とするものではない。むしろ、文化間の差異を超えた人間としての倫理的な普遍性を探求する際の、一つの例を明らかにすることにある。固有の文化におけるアイデンティティーの中に、他の文化と通じ合う普遍性がどのように含まれ、構成されているのかについて考察する。