Abstract:
中国は建国から60年余り、医療機関の整備、医療技術のレベル向上はもちろん、中国の医療体制の充実も目覚ましく進んできた。これは乳児死亡率の低下や平均寿命の伸び等の数値で示される。ところが、この10年あまりの間に、「看病難、看病貴」問題が深刻化してきた。これにつれて、医療保険制度の改革に焦点が当てられるようになった。1998年、新たな医療保険制度の創作を始めて以来、10年余りを経たが、医療保険制度は未だに成熟していないと言っても過言ではない。それに関する課題や問題が山ほどある。そこで、過去の医療保険制度の歴史の回顧を通じて、医療保険制度の歴史的形成過程の特徴を探る必要があると考える。医療保険制度の歴史は、1951 年に制定した労働医療保険制度からスタートした。その後、公費医療保険制度と農村合作医療保険制度が次々と達成された。当時の医療保険が無料で実施されていたため、医療費の高騰問題がすぐ顕著になった。1967年から1977年にかけて文化大革命を勃発し、この期間には労働医療保険が崩壊寸前の状態になった。その一方、農村合作医療保険のカバー率が史上最大になった。しかしながら、文化大革命の終了や計画経済から市場経済への推進に伴い、各医療保険制度の財政が疲弊し、制度の破綻を招来した。90年代後半から新たな医療保険制度が誕生した。これは中国の医療保険制度の略歴である。今まで中国における医療保険制度の歴史をめぐり進んだ研究が多かったが、それぞれの分け方が異なっている。本論文では都市部の医療保険と農村部の医療保険を合わせ、医療保険制度全体の歴史を四つの時期に分けた。それは、建国の直後1951年から文化大革命の直前1965年までの萌芽期、文化大革命開始から1980年後半までの遅滞期、1990年代前半から1990年代半ばまでの模索期及び1990年代後半から現在までの転換期ということである。そして、中国における医療保険制度の歴史的形成過程の回顧を通じて、現在の制度が「限局性」という特徴を持っていることを明らかにする。「限局性」は二つの面に現れる。一つは保険自体の仕組みであり、医療保険の適用対象は各地域の医療保険管理機関が指定した病院や薬局に限られる。さらに、これに加えて全部の医薬費用が給付対象となることではなく、「基本医療保険目録」に載せられた医薬や入院費に限定されている。もう一つは「地域限局性」であり、中国における医療保険制度の大筋が中央政府に規定されたが、これに基づき、地方政府が詳細を決定する権利を持っている。その結果、地方により医療保険の仕組みが異なっており、医療保険の「地域限局性」を持っている。本論文は以上の論点を実証するために次の構成をとった。第1節では萌芽期の医療保険制度の仕組みについて、第2節では遅滞期の医療保険制度の仕組みについて、第3節では模索期の医療保険制度の仕組みについて、第4節では転換期の医療保険制度の仕組みについて、第5節では医療保険制度の歴史的形成過程の特徴について検討を行う。そして「終わり」で歴史的形成過程をまとめ、本論文の結論付けを行う。