抄録:
以前,中国大連の国際色豊かな環境で働いていた。そこでの経験から,「異文化を受容するとき,そこには限界性が存在するはずだ」という考えに至った。例えば,現地の狗食の習慣に対して「狗肉を食すれば,自分のアイデンティティが崩れるのではないか」と追い詰められた。しかし,この拒否感の言語化は困難であった。そこには自然科学的根拠がなく,己の価値観からきていた忌避感しかなかったからである。そこで,この言語化し難いものを,言語化しようと試みる。異文化を受容する際,ある種の価値観─非合理的判断─に基づいた取捨選択もある。しかし,その限界を越す時には,人格を形成するアイデンティティが崩壊する危機に曝される場合もある。このような限界を,本論では「境界線」と呼ぶ。