Abstract:
「租税債務の認識にあたって、課税要件事実が真実存在するか否かを出発点とする」という実体的真実主義の原則は、憲法を根拠とする租税法律主義の当然の帰結であり、厳格な法解釈によって課税がなされるべきであるということを、いわば根本で支える原則であろうと考える。納税者の権利を守るために重要な前提となる。申告納税制度を採用するわが国において、まずは法令の解釈を納税者がおこなうわけであるが、法令そのものが大変複雑な現実にあっては、事後に課税の誤り(申告の誤り)が発見されることも多くある。その場合には、修正申告や更正の請求等の制度が、その誤りを修正し、租税法の定める課税要件に正しく沿った課税へと導くこととなっているのであるが、このような制度が設けられていることそれ自体、(当然のことながら)租税法が実体的真実にそった課税を重要視していることの証である。平成15年4月25日最高裁第二小法廷判決(判時1822号51頁・判タ1121号110頁、以下「平成15年最判」という。)は、国税通則法(以下「法」という。)23条2項に規定される後発的事由による更正の請求の適用においては、同条1項の更正の請求ができなかったことにつき、やむを得ない理由を必要とすると判断した。それでは、やむを得ない理由の判断の基準は何であろうか。平成15年最判は、別訴判決において遺産分割協議が通謀虚偽表示により無効と判断されたことに基づいてなされた更正の請求が認められなかった事例である。通謀虚偽表示による遺産分割の無効は、納税者の責めに帰すべきものであり、やむを得ない理由とはならないという考え方が根底にあるのであろうか。しかし、租税(本税)は法令違反に対する科料や過料とは根本的に異なる性質のものである。租税とは、実体法に基づき、公平に判断された納税者の租税負担の能力に応じて課されるものであると考える。そうであるならば、たとえ、納税者にやむを得ない事情がなく、その責めに帰すべき事由があったとしても、やむを得ない理由ありと認められた他者の同じ租税負担能力とは違った課税がなされることには、どうしても違和感がある。法律に明文の規定がない場合にも、「やむを得ない」という、あいまいなものを租税負担の判断の基準とすることにそもそも問題があるとも考えられる。本稿では、平成15年最判からのちの裁判例のうち、法23条にかかわる「やむを得ない」理由を判断した裁判をいくつか検討してみることにする。申告納税制度を採用するわが国において、更正の請求の制度は、納税者救済にとって重要な位置づけがなされるものである。納税者の帰責性と課税とのかかわりから、実体的真実主義に沿った更正の請求制度についてあらためて考えてみるために、「やむを得ない」理由をめぐる裁判所の判断を検討する。