Abstract:
『いつくしみ深き』という賛美歌がある。日本バプテスト連盟『新生讃美歌』(2011年)431番,日本基督教団『讃美歌』(1983年)312番,『讃美歌21』(1997年)493番,日本福音連盟『聖歌』(1986年)607番などである。これは,日本人にはなじみ深い。というのは,1910年に出版された文部省の唱歌『教科統合中学唱歌 第二集』の中に,この曲が取り入れられたからである。そこでは「星の界(ほしのよ)」というタイトルである。聞き慣れた曲ということで,日本では,葬儀でも結婚式でも入学式でも賛美歌というとこれが用いられる。賛美歌『いつくしみ深き』の原題は,「What a friend we have in Jesus.」である。作詞ジョセフ・スクライヴン(Joseph Medlicott Scriven),作曲チャールズ・コンヴァース(Charles Crozat Converse)である。作曲家コンヴァースが,作者不詳のこの詞に感銘を受け,曲をつけて「いつくしみ深き」という賛美歌が完成したと言われている。この賛美歌は,発表当初から,大きな人気をえながら,二十年近く,作詞者不詳,あるいは「作詞H.Bonar」と表記された。では,この詞は,いったい誰によって・いつ・どのように作られたのか。なぜ,当初「作詞者不詳」だったのか。この賛美歌の背景を知れば知るほど,疑問が増える。 『讃美歌』(1983年)や『聖歌』(1986年)や『新生讃美歌』(2011年)では「作詞1855年,作曲1868年」と記載されている。だが,実は「作詞1855年」とは,ウイリアム・レイノルズ(William J.Reynolds)の考えである。作詞年については1850年説から1870年説まで諸説ある。大塚野百合氏は「1860年」と推測している。私も「作詞1855年説」に異議を唱える。そこで,この小論では『いつくしみ深き』の歌詞の作者の人物像を追い,その成立過程を考察することによって,その「作詞年」を特定し,さらに,この詞の本来の意味を明らかにすることに貢献できればと考える。ひいては,なぜこの賛美歌がポピュラーになったのかの理由を明らかにしたい。方法論としては,人物史,詞の意味,楽譜の変遷という3つの側面から,それぞれの真相に迫り,それぞれの重なりあう事実から,一つの像(仮説)を提示したい。