Abstract:
1960年に干隈校地にスポーツグラウンドが整備され、使用開始されて以来、西南学院大学の体育系のクラブ活動は、西新校地と干隈校地に分散して行われていた。前者の西キャンパスには、テニスコート(硬式テニス部)、プール(水泳部)、グラウンド(ラクロス部、硬式ソフトボール部、ハンドボール部、アメリカンフットボール部)、弓道場、ゴルフ部練習場、各種クラブ(剣道部、柔道部、卓球部、バレーボール部、バスケットボール部、空手道部、少林拳法部、体操部、合気道部、少林寺拳法部、バドミントン部、ボクシング部)の使用する体育館及び体育館別棟(フェンシング部)がある。一方、後者では、ラグビー部、サッカー部、硬式野球部、準硬式野球部、ソフトテニス部、自動車部、アーチェリー部が活動していた。ところが、1991年6月、福岡市から干隈校地1の譲渡要請があったことから、干隈校地を使用していた諸クラブの歴史は大きく変わることになる。福岡市が干隈校地の都市計画公園化構想を打ち出したのである。学院・大学内における検討、そして学院・大学と福岡市との交渉の結果、1999年2月16日、干隈校地の譲渡は最終決定された。代替地の候補地についてはいろいろ検討されたが、最終的には、2002年5月24日、西南学院の定期理事会及び評議員会は福岡市西区田尻地区を候補地として承認した。田尻校地が完成するまでの間、干隈校地を使用していたクラブのうち、サッカー部、硬式ソフトボール部、陸上競技部は、すでに完成していた百道浜校地へ移転し、一方、硬式野球部、準硬式野球部、ラグビー部、ソフトテニス部、アーチェリー部、自動車部は干隈校地を使用していた。その後、2003年4月に西南学院中学・高校が百道浜校地へ移転した後は、硬式野球部、準硬式野球部、ソフトテニス部、アーチェリー部は中学・高校の移転跡地を、またラグビー部、サッカー部、アメリカンフットボール部、硬式ソフトボール部、自動車部は百道浜校地を使用することになった。田尻校地2は2007年6月に起工され、2008年10月4日に西ゾーンが、そして2009年10月31日に東ゾーンがそれぞれ竣工、オープンした。田尻グリーンフィールドは東ゾーンのオープンをもって全面オープンしたことになる。以下では、干隈校地の福岡市への譲渡から田尻グリーンフィールド完成までの経緯を概略説明することにする。