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キリスト教教育と私(10)
The Christian Education Which Formed Me (10)
塩野, 和夫
シオノ, カズオ
Shiono, Kazuo
西南学院大学学術研究所
Seinan Gakuin University Academic Research Institute
2015-07-17
2015-07-17
Departmental Bulletin Paper
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1107
http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/123456789/1107/1/is-n29v2-p165-193-sio.pdf
0913-0756
西南学院大学国際文化論集
29
2
165
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2015-03
jpn
publisher
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祈念像と想像的祈念―中世末期の私的信心における芸術の場についての覚書
Sixten Ringbom, “Devotional Images and Imaginative Devotions : Notes on the Place of Art in Late Medieval Private Piety”
松原, 知生
内島, 美奈子
下園, 知弥
マツバラ, トモオ
ウチジマ, ミナコ
シモゾノ, トモヤ
Matsubara, Tomoo
西南学院大学学術研究所
Seinan Gakuin University Academic Research Institute
2015-07-17
2015-07-17
Departmental Bulletin Paper
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1108
http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/123456789/1108/1/is-n29v2-p141-163-mat.pdf
0913-0756
西南学院大学国際文化論集
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2015-03
jpn
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考古学からみた筑後今村キリシタン
Archaeological Study on the Chikugo-Imamura Kirishitan (Early Christian)
伊藤, 慎二
イトウ, シンジ
Ito, Shinji
旧筑後久留米藩領の福岡県三井郡大刀洗町今(通称:今村)周辺は,江戸時代禁教期の潜伏キリシタン(かくれキリシタン)集住地区であったことで良く知られる。今村キリシタンは,九州の交通の要衝地である筑後平野中央部の開けた田園景観の中で,周囲の仏教・神道信仰社会と日常的に関わりながら,禁教期を通してキリシタンとしての宗教伝統を秘密裡に継承し続けた。他の潜伏キリシタン集住地区とのつながりは,長崎浦上の教会・信徒との接触・往来が幕末になって初めて行われたのみである。今村キリシタンは,多くの物理的に不利な制約のある環境的諸条件の中で,信仰という高度に文化的側面の独自性を孤立状態で長期間持続させた。強制的同調圧力の強い社会文化の中で,ヒトはどのように固有の地域文化・精神文化を形成維持できるのか。今村キリシタンの歴史的経緯は,人類史研究の上でも普遍的示唆に富む重要な事例といえる。しかし,幕末~明治時代初頭の久留米藩による今村キリシタンの一斉検挙拘束後,藩側のごくわずかな記録を除いて,禁教期の信仰細部に関するほとんどの同時代史資料を失ってしまった。禁教期の今村キリシタンの様相を探るためには,文字資料以外の物質文化に対して,考古学の観点から迫ることがこれまであまり試みられていない重要な課題と考えられる。そこで,小論では,久留米藩側による尋問に対してまとめられた口書帳類の記述と近世から近代の墓碑に着目して,考古学からの検証課題を試行的に整理する。
西南学院大学学術研究所
Seinan Gakuin University Academic Research Institute
2015-07-17
2015-07-17
Departmental Bulletin Paper
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1109
http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/123456789/1109/1/is-n29v2-p71-97-ito.pdf
0913-0756
西南学院大学国際文化論集
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2015-03
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publisher
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『アナと雪の女王』の音楽的有機性
Musical Organism in Disney's Frozen
栗原, 詩子
クリハラ, ウタコ
Kurihara, Utako
西南学院大学学術研究所
Seinan Gakuin University Academic Research Institute
2015-07-17
2015-07-17
Departmental Bulletin Paper
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1110
http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/123456789/1110/4/is-n29v2-p45-69-kur.pdf
0913-0756
西南学院大学国際文化論集
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2015-03
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2021-11-10T05:24:58Z
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村上寅次『波多野培根伝』(稿本)に見る波多野のキリスト教教育
Hatano's Christian Education As Seen in The Biography of Hatano Masune (Manuscripy) by Murakami Toraji
塩野, 和夫
シオノ, カズオ
Shiono, Kazuo
200字原稿用紙1254枚からなる村上寅次『波多野培根伝』(稿本)全4巻は,謎に満ちている。「序」と「あとがき」が無いために,筆者の執筆意図や目的を稿本から知ることはできない。奥付も無く公的な執筆年が分からない。4巻それぞれのタイトルを記していないので,目次も分からない。しかしながら,村上寅次が並々ならぬ意欲を長年にわたって持続し,『波多野培根伝』執筆に取り組んだ事実は疑いようもない。杉本勝次は『勝山餘籟-波多野培根先生遺文集』の「序」において,1977(昭和52)年当時の執筆状況を紹介している。……先生の伝記を刊行することも,強く望まるるところである。寂々人間の第一流,これほどの人間の生きざまは,必ずや後世に書き残しておく義務がある。村上寅次君は先生の教え子の一人で既に早くから伝記の編集に手を着けておられ,先生前半生の部分の出来あがった原稿は私も読ませて貰い,その密度の濃い充実した記述に深く感銘し,これが早く完成して世に出る日を待ち望んでおるけれども,いま村上君は西南学院大学の学長として多忙の身,筆がなかなか進まないというのも無理からぬことであろう。西南学院大学学長・西南学院院長といった重責を担いながら,それでも村上寅次は『波多野培根伝』執筆に取り組み続けた。その理由が問われる。この問いは「村上に取り組みさせ続けた内的動機」とするのが的確であるかもしれない。なぜならば,彼を突き動かした動機は単なる学問的関心を超えているからである。村上が生涯をかけて打ち込んだ執筆作業はもっと深い所から出ている。それは教育者村上寅次を形成し続け,困難な教育状況においては指針となり,彼の全人格の根底に存在したものでもある。村上寅次をして『波多野培根伝』執筆に向かわせたものについて,間違いなくいえる一つの事実がある。それは西南学院という教育の現場である。村上はこの場において波多野培根と出会って薫陶を受け,教育者として教壇に立ち,共に学院の責任も負った。波多野の亡くなった後も自らが育てられた原点に絶えず立ち返りながら,彼は『波多野培根伝』執筆に取り組んだ。だから西南学院において波多野から村上へと継承された教育の精神こそ,村上寅次をして執筆作業へと向かわせた原動力なのである。学院の歴史において継承されてきたものは多くある。しかし,西南学院をして西南学院たらしめている柱はキリスト教教育である。本稿が波多野のキリスト教教育を取り上げる理由もそこにある。
西南学院大学学術研究所
Seinan Gakuin University Academic Research Institute
2015-07-17
2015-07-17
Departmental Bulletin Paper
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1111
http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/123456789/1111/1/is-n29v2-p1-25-sio.pdf
0913-0756
西南学院大学国際文化論集
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2015-03
jpn
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