dc.contributor.author |
藤本, 滋之 |
ja |
dc.date.accessioned |
2019-07-11T08:37:23Z |
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dc.date.available |
2019-07-11T08:37:23Z |
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dc.date.issued |
2019-03 |
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dc.identifier.issn |
0286-2387 |
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dc.identifier.uri |
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1705 |
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dc.description.abstract |
Lakoff and Johnson(1980)、Lakoff(1987)、Sweetser(1990)等により、メ
タファーは特別な修辞技巧なのではなく、無意識のうちに言語の中に広く組み込まれていて、メタファー無しに言語を使うことは不可能であるという考え方が一般に認められて来た。メタファーは、「ある事物や概念を記述するのに使われる語句を、何らかの相通じる類似性に基づき、他の事物や概念を記述するのに用いる比喩(figure of speech)」(Merriam-Webster Online Dictionary)、「ある事物や行為を記述するのに、文字通りには適用できない語句を適用する比喩(figure of speech)」(Oxford Dictionary of English)である。たとえば「金に溺れる(drown in money)」というとき、「溺れる」のは本来「水」の中でなければ不可能であるが、「溺れる」状況における「水」に覆われて抜け出せないイメージを、文字通りには適用できないはずの「金」に適用し、いかに多くの金に包まれ抜け出せない状況にあるかを表しているのである。本稿では、メタファーに伴う大きな特徴として、斎藤(1983)で提案されている「有標性」の概念を、状態変化と位置変化(つまり移動)と行為の三つの場合に分けて考察し、いずれも無標から有標に変化する際にメタファーが生まれることを論じる。1節では状態変化、2節では位置変化、3節では行為という人の動きの変化に伴って生じるメタファーを分析する。 |
ja |
dc.language.iso |
jpn |
ja |
dc.publisher |
西南学院大学学術研究所 |
ja |
dc.title |
メタファーと有標性 |
ja |
dc.contributor.transcription |
フジモト, シゲユキ |
ja-Kana |
dc.contributor.alternative |
Fujimoto, Shigeyuki |
en |
dc.publisher.alternative |
Seinan Gakuin University Academic Research Institute |
ja |
dc.type.niitype |
Departmental Bulletin Paper |
ja |
dc.identifier.jtitle |
西南学院大学英語英文学論集 |
ja |
dc.identifier.volume |
59 |
ja |
dc.identifier.issue |
3 |
ja |
dc.identifier.spage |
105 |
ja |
dc.identifier.epage |
120 |
ja |
dc.textversion |
publisher |
ja |
jpcoar.creator.nameIdentifierNRID |
1000020199368 |
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jpcoar.creatorAffiliation.nameIdentifierKakenhi |
37105 |
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dc.teacher.researchmap-id |
1000117405 |
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dc.teacher.researchmap-url |
read0036627 |
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