西南学院大学 機関リポジトリ 

考古学からみた筑後今村キリシタン

アイテムの簡略レコードを表示する

dc.contributor.author 伊藤, 慎二 ja
dc.date.accessioned 2015-07-17T03:59:51Z
dc.date.available 2015-07-17T03:59:51Z
dc.date.issued 2015-03
dc.identifier.issn 0913-0756
dc.identifier.uri http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1109
dc.description.abstract 旧筑後久留米藩領の福岡県三井郡大刀洗町今(通称:今村)周辺は,江戸時代禁教期の潜伏キリシタン(かくれキリシタン)集住地区であったことで良く知られる。今村キリシタンは,九州の交通の要衝地である筑後平野中央部の開けた田園景観の中で,周囲の仏教・神道信仰社会と日常的に関わりながら,禁教期を通してキリシタンとしての宗教伝統を秘密裡に継承し続けた。他の潜伏キリシタン集住地区とのつながりは,長崎浦上の教会・信徒との接触・往来が幕末になって初めて行われたのみである。今村キリシタンは,多くの物理的に不利な制約のある環境的諸条件の中で,信仰という高度に文化的側面の独自性を孤立状態で長期間持続させた。強制的同調圧力の強い社会文化の中で,ヒトはどのように固有の地域文化・精神文化を形成維持できるのか。今村キリシタンの歴史的経緯は,人類史研究の上でも普遍的示唆に富む重要な事例といえる。しかし,幕末~明治時代初頭の久留米藩による今村キリシタンの一斉検挙拘束後,藩側のごくわずかな記録を除いて,禁教期の信仰細部に関するほとんどの同時代史資料を失ってしまった。禁教期の今村キリシタンの様相を探るためには,文字資料以外の物質文化に対して,考古学の観点から迫ることがこれまであまり試みられていない重要な課題と考えられる。そこで,小論では,久留米藩側による尋問に対してまとめられた口書帳類の記述と近世から近代の墓碑に着目して,考古学からの検証課題を試行的に整理する。 ja
dc.language.iso jpn ja
dc.publisher 西南学院大学学術研究所 ja
dc.title 考古学からみた筑後今村キリシタン ja
dc.title.alternative Archaeological Study on the Chikugo-Imamura Kirishitan (Early Christian) en
dc.contributor.transcription イトウ, シンジ ja-Kana
dc.contributor.alternative Ito, Shinji en
dc.publisher.alternative Seinan Gakuin University Academic Research Institute ja
dc.type.niitype Departmental Bulletin Paper ja
dc.identifier.jtitle 西南学院大学国際文化論集 ja
dc.identifier.volume 29 ja
dc.identifier.issue 2 ja
dc.identifier.spage 71 ja
dc.identifier.epage 97 ja
dc.textversion publisher ja
jpcoar.creator.nameIdentifierNRID 1000070570662
jpcoar.creatorAffiliation.nameIdentifierKakenhi 37105
dc.teacher.researchmap-id 7000007978
dc.teacher.researchmap-url 7000007978


このアイテムのファイル

このアイテムは次のコレクションに所属しています

アイテムの簡略レコードを表示する

サイト検索


ブラウズ

リンク