第02号 (2016)
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1327
第2号
2024-03-28T09:38:36Z
-
莫言の作品『豊乳肥臀』における「母親像」分析
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1329
莫言の作品『豊乳肥臀』における「母親像」分析
孫, 佳宇
1996年、莫言の長篇小説『豊乳肥臀』が出版された。当作品の主人公である上官魯氏は、これまでの中国文学に度々登場してきた「母親像」とは異なり、中国封建社会の価値観や倫理観に大きく反抗している点がとくに注目された。莫言は、この作品において一連の不倫を始め、母親の出産や露骨な性愛場面などについて描いた。『豊乳肥臀』が発表された当時、中国の文学界では大きな論争が巻き起こり、当該作品が文学賞に値するかどうかをめぐり評価が大きく分かれ、マスメディアにも大々的に取り上げられた。私が最初にこの作品と出会ったのは大学時代である。初めてこの本を読んだときは、作品中の内容を深く理解することができなかった。しかし、結婚して母親となった今、『豊乳肥臀』に描かれた母親に大いに共感するようになった。それは、単に母親になったからというだけではない。作品の中で、上官魯氏は9人の子どもを抱え、波瀾万丈な子育て人生を送っている。私は、人生の全てを子どもに捧げて逞しく生きていく上官魯氏の生命力溢れる姿に、そして、時代や世代を超えて母親が子どもに注ぐ普遍的な母性を感じ取ったのである。莫言は、作品の中で上官魯氏にいくつかの特色を持たせた。それは、閉鎖的な社会に対する反抗心、粘り強い精神力、強烈な感受性、道徳・倫理をも破る大胆な行動力などである。これらの特色は、閉鎖的な社会においては不道徳であると見なされる場合が多い。しかし、彼女はなぜ敢えてそのような生き方を選んだのだろうか。中国文学における母親は一般的に、家族のため、子どものため、自己犠牲を強いられながらも辛抱強く生きていく。そして、このような人生は、数千年に及ぶ中国父権社会において称賛され続けてきた。しかし、莫言はこの作品を通して、封建社会に反抗し、大胆な行動を以て強い生命力を子どもに注ぐ「母親像」をリアルに描き出したのである。莫言の他の作品の中にも「母親」は登場し、そこから莫言の「母親像」を考察することは可能である。しかし、『豊乳肥臀』以前の作品では、父権社会の中で称賛され続けてきた「母親像」がほとんどである。彼女たちの生き方は、現代の母親像からかけ離れており、『豊乳肥臀』において初めて、伝統社会の価値観や倫理観に対抗した新しい「母親像」が登場したと言っても過言ではない。私が本論において考察の対象とした『豊乳肥臀』は、合わせて3版まで出版されている。第1版は1996年1月に出版され、後に過激な描写を削除した第2版が2001年に出版された。本論では第1版を考察の対象としており、それは、第2版以降は批判を受けて過激な性描写などが書き換えられ、または削除されたからである。私がここで注目したいのは、伝統社会の観念を脱ぎ捨て、生命力溢れる「母親像」についての描写である。このような生き生きとした母親像は、核家族化によって母親になることに不安を持つ現代の女性たちに新たな希望を与えてくれるかもしれない。現代の女性にとって、母親になることは決して生命を受け継いでいくだけのことではない。家事・育児・就労といった幾つもの役割を一人でこなさなければならず、心身ともに疲労困憊して、通常の精神力ではとても耐えられない人生経験といえる。しかし、莫言の「母親像」からは、いかなる困難に遭遇しても希望を持ち続ける姿勢が見受けられる。莫言の描く「母親像」は、ある意味において現代の母親となることに不安を抱える女性たちに希望と勇気を与える原動力になれ
るのではないだろうか。具体的には、上官魯氏の特色として以下の三点に注目したい。これらの特色は、作品を通じて貫かれた上官魯氏の生き方とも言えよう。①封建社会に反抗すること
②粘り強い精神力をもつこと③強い感受性をもつこと
本論は、この作品から具体例を抽出し、これらの特色を上官魯氏がいかなる行動で示したかについて考察したものである。それから、上官魯氏の「母親像」にはどのような要素が含まれているかについて分析し、莫言自身の母親である高淑娟と上官魯氏の「母親像」についての比較分析を試みた。
2016-02-01T00:00:00Z
-
社会保障制度の理念と歴史
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1334
社会保障制度の理念と歴史
野副, 常治
社会保障制度は、元々貧困の予防と救済を目的に創設された制度である。その始まりは15世紀以降のイギリスで行われていた救貧活動である。当時のイギリスでは、エンクロージャーによる囲い込み政策によって土地を失った多くの農民が都市部へと流れた。この急速な都市部への人口流入は、多くの貧困層を生む要因となり、こうした状況を救済するために、教会や修道院が行っていた救済活動を当時の行政が統合し、そこで成立した救済政策が救貧法である。この救貧法の大きな特徴としては、その財源を税によって賄い救済資金としていた点である。これは当
時としては画期的ともいえるシステムであった。救貧法から現代の社会保障制度の成立において、その要因を見ると、そこには共通した出来事がある。それは、産業発展に伴う経済状況の変化である。産業発展による市場拡大は、その国の経済発展を促した一方で、多くの貧困者の増加を招いた。つまり、経済発展が貧困を招く要因となったのである。また、産業構造と経済発展の変化によって、社会保障制度の概念や理念の在り方も大きく変わることになる。それまで家族や地域で行われていた生活保障や介護においても、家族や地域では保障することができない様々な問題が発生したことで、保障制度を公的機関である国がその責任者として、家族や地域に代わっ
て保障をしていくという現在の社会保障に近いシステムへと変貌していく。つまり、社会保障制度はこのような産業革命による経済発展を追従する形で発展していったのである。そして、現在、社会保障制度は単に貧困の予防や救済を目的とした政策から、より複雑で高品質化した保障を担う制度へ進化し、私たち国民に無くてはならない制度となっている。しかし、現在の社会保障制度は、私たち国民の生活保障を支える重要な制度になっているにも関わらず制度崩壊の危機にある。本稿では、日本を含めた諸外国の中で社会保障制度が、どのような変遷を辿って来たのかを理念や概念の変化と共に見て行く。そして元々、貧困層の救済から始まった活動が、経済の発展と共に増加した都市部の労働者階層に対する貧困化対策へと形を変え、その後、国民の生活保障としての現在の制度へと形成されていくことを明らかにする。これによって、現在に至るまでの社会保障制度は、その時々の経済、社会情勢の変化によって必要となった保障を注ぎ足すような形で制度の中に組み込まれたものであることを明確にし、現在の社会保障制度は経済発展の後追いをする形では対応できないことを示すと共に、将来の社会保障制度のあるべき方向性を示すものである。
2016-02-01T00:00:00Z
-
日本現代文化の報告ノート①――福岡在住アーティスト逆瀬川剛史の事例
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1328
日本現代文化の報告ノート①――福岡在住アーティスト逆瀬川剛史の事例
太田, 梢
今、とある戦場で誰かが弱者の命を救っているかもしれない。一方、そこのカフェではミュージシャンが愛の唄を歌っているかもしれない。人々の日常生活(Life)において、音楽とは必要不可欠の生命維持装置ではない。しかしながら、どのような状況下であっても、音楽さらには芸術の働きというものは歴史の中から失われることがない。本論は、ライブ(Live)がメディア情報社会の今、社会的ツール(道具・手段)として他者同士を繋ぐ機能を果たしうることを体現している福岡在住のミュージシャンの活動と、その効果を教育現場に持ち込む必然性を報告したものである。
2016-02-01T00:00:00Z
-
主題関係と動詞句副詞
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/1335
主題関係と動詞句副詞
西村, 知修
2016-02-01T00:00:00Z