第24巻2号 (2010)
第24巻2号
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/87
2023-10-03T16:09:47Z
2023-10-03T16:09:47Z
詩篇第42-43篇研究
塩野, 和夫
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/392
2023-05-12T08:12:02Z
2010-03-01T00:00:00Z
詩篇第42-43篇研究
塩野, 和夫
本稿は野本真也先生(現在、同志社理事長)の指導を得て、1979年1月に同志社大学神学部神学研究科に提出した修士論文である。今日まで発表する機会を得なかったが、産業医の指導により研究活動を制限されるため、今回31年ぶりに発表できることになった。
2010-03-01T00:00:00Z
「言語責任」という考え方-時枝誠記の国語政策をめぐって-
中島, 和男
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/389
2023-06-23T07:01:51Z
2010-03-01T00:00:00Z
「言語責任」という考え方-時枝誠記の国語政策をめぐって-
中島, 和男
2010-03-01T00:00:00Z
「翻訳」をめぐる理論とその歴史的展開
井口, 正俊
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/390
2023-05-12T08:12:02Z
2010-03-01T00:00:00Z
「翻訳」をめぐる理論とその歴史的展開
井口, 正俊
「…翻訳は原作からの結果である。原作の生というより,それが生き残る生〈Überleben〉の結果である。というのも,翻訳はそもそも原作より遅れるものであり,原作の成立した時代においては選ばれた決定的な翻訳者をそこでは一度も見出すことがなかった重要な作品では,翻訳は,その原作の死後にも残るべき生〈Fortleben〉の段階〈Stadium〉を示しているのである」(W・ベンヤミン『翻訳者の使命』)「翻訳は,実際に可能なのかどうかという,常に反復される問いは,古代における宗教的また心理的疑念に根ざしており,その疑念は,一つの言語〈tongue〉から他の言語への何らかの通路が存在すべきかどうかという疑念である」(G・スタイナー『バベルの後に』)
2010-03-01T00:00:00Z
岡山における朝鮮通信使の足跡
尹 芝惠
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/394
2021-11-10T05:24:57Z
2010-03-01T00:00:00Z
岡山における朝鮮通信使の足跡
尹 芝惠
2010-03-01T00:00:00Z